四国、其の一 (四国一周編)

四国、其の一


(四国一周編)


旅行場所:四国4県

期間:1982年 1月 4日~ 1月 8日

行程:1月4日の朝、まだ正月気分が残ったまま四国旅行に出発。四国へ渡ったのは小学校の時にフェリーを乗り継いで、鳴門の先っぽへ行った1度だけであった。今度は本格的に列車での旅となる。1回の行程で四国内の国鉄全路線を踏破の予定だ。
新神戸の下りホームで待っていると、8時前に出発のひかりが入ってきた。早速乗り込み約50分で岡山には9時前に到着。ここから宇野線の快速電車に乗り換えて、宇高連絡船の待つ宇野駅に向かう。快速が結構走っているが路線は単線区間の為、時刻表では通過となっている駅でも実際は、列車行き違いのため、運転停止といって停車する事があり、30分程掛かっていた。宇野駅での乗り換え時間は10分間。急いで連絡船乗り場へ移動、10時前に宇野を出航して連絡船は一路高松へ。連絡船に揺られる事、約1時間の船旅で高松に上陸。昼には早いが、3時過ぎまで列車に乗ったままなので、とりあえずきつねうどんを食べて、菓子パンを買い特急しおかぜに乗り込んだ。まだ11時半にもならないが、伊予大洲迄約4時間乗りっ放しである。四国は非電化でディーゼルカーの天下である。予讃本線の高松から少し複線区間があるだけで後は単線オンリーだ。列車は瀬戸内海沿いに西へと進み、3時過ぎに伊予大洲に着いた。ここから内子線に乗り換えである。発車迄1時間ある。内子線はまだ途中の内子迄しか開通しておらず、先の向井原へ繋がるのは未定である。単線の通過待ちもあって、内子に着くまで50分程掛かった。内子駅を10分程で折り返し、分岐点の五郎駅で下車したのは5時半を廻った頃で、4分の待ちの乗り換えで終点の宇和島を目指す。ここからは普通列車である。夜の7時過ぎに宇和島に到着。写真を撮って貰い改札を出ようとすると周遊券が無い。慌てて列車に戻ると座席の上にあった。ホッとして改札を出てホテルに入りスパゲティで腹ごしらえ。翌日は早いので早々に就寝。

1月5日は早朝にホテルを出て、まず6時過ぎの列車で隣の北宇和島に移動、予土線に乗り換えの為である。四国の南西でも冬の朝は寒く、まだ1時間近く待たねばならない。待っていると駅員が、そこは寒いからこっちへと呼び駅員室に招いて、コーヒーを入れてくれた。有り難い事である。都会の駅ではまず考えられない。7時過ぎに予土線の列車が出発、2時間少々で若井に到着。ところが着いて見ると若井駅は分岐点の駅なのに、無人の単線ホームがあるだけで他に降りる乗客はいなかった。困ったなぁ、どないしょうかと思っていると駅前の民家に人が。写真を撮って貰える様に頼むと引き受けてくれ、丁度、隣の窪川駅迄お客さんを送って行くので一緒にと、車で送ってくれた。予定ではタクシーを考えていたが、タクシーの来る様な駅ではなっかたので大助かりであった。四国の人の人情に触れて来て良かったと思った。窪川から中村線(現在は土佐くろしお鉄道)の踏破で11時前出発の急行あしずりに乗って西へ進み、約40分で中村に着いた。予定ではこの先宿毛迄延伸の計画があるがいつになるか未定である。カレーライスで昼食を済ませ、1時前に出発の特急南風に乗り、多度津までは4時間一寸の長旅だ。高知県の南岸を東へ向かう車窓からは太平洋の景色が見えるのだが、前に座っている女性が眩しいからとカーテンを下の方に下ろしてしまい、よく見えない。ちょっと景色が見えへんやないか!、と言いたかったがしゃーないなぁと諦め気味だった。5時前になって多度津に到着、写真を撮るので下車、次の高松行き迄50分あったので余裕有りすぎだ。その後急行いよに乗り、揺られる事30分で高松に着き、この日は親子丼で夕食を済ませてホテルへ入った。

1月6日の朝はゆっくりと余裕のスタートだ。高松を出発したのは10時過ぎであった。高徳本線を急行むろとに乗って東へ進む。途中の池谷で一旦鳴門線に寄道、10数分で鳴門駅に着いた頃は昼食の時間帯である。スパゲティで腹ごしらえをして、折り返しの列車に乗る。池谷経由でそのまま高徳本線に直通する列車だ。2時前に1駅手前の佐古で下車、ここは徳嶋本線との分岐点になっている。写真を撮り、後続の列車で徳島に着くと、10数分の接続で普通列車に乗り、徳島の東海岸を南下する牟岐線の終着、海部を目指す事約2時間20分。海部駅の手前にトンネルが見えたがコンクリートが剥き出しになっていた。元々山があったのでトンネルを掘ったのだが、後に土地を造成した結果、トンネルの上にあった土砂が取り払われたらしい。ちぐはぐな計画の悪い見本だ。海部から先も延伸の計画が有るが工事は進んでいない。長旅の割には折り返しはたったの5分で、急いでそばにいた人にシャッターを押して貰い、乗ってきたディーゼルカーに再び乗り込む。5時前に出発した列車は北へ向かって徳島へ帰る。夜7時過ぎに徳島駅に着き、ホテルにチェックイン、夜食のカレーライスを食べて部屋に辿り着いた。

1月7日は徳島駅を出るのが8時前なのでゆっくりした朝だ。8時過ぎには中田に到着、1区間の小松島線(廃線)に乗り換える。小松島港駅はフェリーとの接続駅で区間の扱いが特別になっている。時刻表では、中田-小松島-小松島港と駅が並んでいるが、正式な終点は小松島駅で、小松島港駅は構内にある臨時駅だ。本体の小松島駅のホームは突き当たりになっていて、小松島港駅に通じるルートのホームは無人で片側のホームがあるだけだ。通常は同じ駅なので、小松島-小松島港間の切符は売られていない。小松島港を10時前に出て一旦徳島に戻り、徳島本線の列車に乗り換える。10時半を廻って出発した列車は約2時間足らずで分岐点の佃駅に着いた。とりあえずこれで四国の全路線を完乗である。昼食はうどんで済ませた。駅の辺りは暇を潰せそうな所は無い。列車は隣の阿波池田迄行く。そちらは大きな町である。2時近くになり列車が来て土讃本線を北上、多度津で接続待ちの為6分停車。この駅は松山方面と高知方面の分岐点である。この日はすぐ近くの観音寺に泊まるのだけど、時間が余っているので、佃からの列車に乗ったまま一旦高松へ着いたがまだ4時である。時間を潰して5時半を廻り観音寺に向け出発。約1時間50分で到着。この日の宿は古めかしい木造の作りだったが、なかなか風情がある上に料金が安かった。部屋にあった案内で付近の砂浜が寛永通宝に模られ、銭形平次(大川橋蔵主演)のタイトルバックの撮影に使われているのを知った。

1月8日の朝もゆっくりしていた。観音寺を9時半前に出発、急行宇和島に乗って昼前に松山に着いた。堀江からの連絡船にはかなり時間が有るので、寄道したのだ。昼食のカレーライスを食べて松山の駅前に出ると、路面電車の停留所がある。伊予鉄道の市内線で電車はクリーム色の車体にオレンジ色の帯が入ったツートンカラーだ。あまり遠くへは行く時間が無いので、時間を潰そうと路面電車でいよてつそごう前の停留所迄乗って行った。そこには伊予鉄道のターミナルが在り、路面の他に一般的な電車も乗り入れている。適当に店を見て歩き、路面電車で再び国鉄の松山駅に戻った。3時前に松山を出発、20分足らずで堀江駅に到着。ここからは仁堀連絡船(廃止)で本州側の呉線仁方駅迄の約1時間40分の船旅である。本数の少ない航路で知らない人も多く航路の廃止も近い様だ。3時半を廻って出航した連絡船は瀬戸内海を北上して、仁方に着いた頃にはもう空は暗くなりかけていた。それから呉線の電車に乗ること50分程で6時半過ぎに海田市に着き、山陽本線に乗り換えて広島には夜7時前の到着だった。駅前に出ると広島電鉄の路面電車の停留所へ足を進め電車に乗って街の中へ。この日は広島市内の親戚の家で1泊である。

工事中


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